灰谷健次郎論
98E1102014L 小池香苗
はじめに
灰谷健次郎氏の作品を研究しようと思ったのは、作品に魅せられたからである。
初めて灰谷氏の作品を読んだのは、小学生の時だったと思う。家の本棚に『太陽の子』がぽつんと置いてあった。主人公は小学校五年生のふうちゃんという女の子だった。同じような年なのに、この子はなんて一生懸命生きているのだろうと、衝撃を受け、涙をぽろぽろ落としながら、時には笑いながら読んでいたことを覚えている。
そして中学生になり、読売新聞に『天の瞳』が連載された。私は第一話を読んだだけで、その作品の虜になってしまった。特に倫太郎という主人公に強烈に惹きつけられた。まさに一目惚れだった。天真爛漫で、まっすぐで、予想のつかない言動、感受性がとても強く、そして繊細な倫太郎に、私は恋をした。
この作品はしばしば灰谷氏のライフワークであると言われている。灰谷氏は、読売新聞社の連載を受けようかどうか迷っていたとき、師と仰ぐ小宮山量平氏に「これこそが子どもだという、あなたの子ども像を完成させなさい」と言われ、「わたしはこの言葉を素直に、心の糧として『天の瞳』を書いた」(読売新聞 一九九五年九月)といっている。つまり、この作品には灰谷健次郎氏の理想が詰まっているのではないだろうか。
当時読書好きとはいい難い私が、毎日朝刊の『天の瞳』をむさぼるように読んでいた。なぜ、あんなにも惹かれたのだろうか。一話一話読むたびに、胸が躍動した。『天の瞳』は、中学生の私にとって、クスクス、と思わず微笑んでしまうようにおもしろく、そして考えさせられる作品だった。
灰谷健次郎氏の作品を読むと、私はいつも何かしらの刺激を受けていたように思う。それは時には胸がきゅんとなる痛みであったり、心の中がじわぁっと温かくなるような人のぬくもりのようなものであったりしたと思う。
私は、灰谷健次郎氏について研究し、灰谷健次郎氏の理想とは一体どのようなものなのか、また作品に込められた思いはいかなるものなのかを読み取り、灰谷健次郎氏の作品の魅力に迫りたいと思う。
第一章 灰谷健次郎氏の足跡
第一節 誕生〜教師時代
灰谷健次郎氏は、一九三四年十月三十一日、兵庫県神戸市に父又吉、母つるの七人兄妹の三男として生まれる。
神戸市立垂水中学校卒業後、高校進学を希望していたが、家が貧しかった為断念する。働きながら定時制高校商業科(神戸市立湊高等学校)に通った。
一九五四年四月、大阪学芸大学(現国立大阪教育大学)に入学。教師を志したからではなく、教師になれば、ひまができて小説が書けるという傲慢な気持からであった。この頃から小説を書き始める。翌年、放蕩がひどくなる。睡眠薬を飲み始め、量もだんだん増えていった。
一九五六年、二十二歳の時、神戸市立学校教員となる。作文教育にうちこんだ。児童詩誌「きりん」を知る。また、詩誌「輪」の同人となり、詩人として活躍した。
第二節 長兄の自死
一九六七年、四月二日、長兄吉里が自殺をする。灰谷健次郎氏、三十三歳の時だった。翌年には母つるが死去し、教師として、人間としての生き方に迷いを持ちはじめる。灰谷氏にとって、長兄の自死は重くのしかかり、ヨーロッパ、地中海、中近東、インドを放浪するが、挫折感は強くなるばかりだった。そして一九七二年五月、三十八歳、兄の自死から立ち直れず、学校を辞め、十七年間の教師生活にピリオドをうつ。そして退職後は東南アジア、沖縄に行く。
沖縄を訪れ、沖縄のパイン工場で働いていたある日、海に行くと貝を拾っているオッサンを見かける。
「船、二度沈めてしもてな。よめはんと娘、殺してしもた」
(略)
「神も仏もないですね」
ぼくは媚びたことをいってしまった。
「そやない」
男はきっとした表情になっていった。
「わしは自分を責めて生きとる」
(『わたしの出会った子どもたち』)
その話をパイン工場ですると、パイン工場で働いている沖縄のオバチャンのトミさんは「そりゃまちがいさ」「自分を責めて生きても、死んだ人は喜ばんさ。」と言った。
「わたしもおじいさんを殺してしもたさ。マラリアにかかって死んでしもたさ。床あげて、おじいさんを桟にくくりつけたさ。熱のせいで暴れるからそうしないとしょうがない。わたしはおじいさんにすまなくて、おじいさん許してくださいよ、おじいさん許してくださいよといいながら、ひと晩、おじいさんにしがみついてたさ。かいないよう。朝には冷たくなっていたさ」とトミさんは言い、そしておばさんたちが悲惨きわまりない戦争の体験を話して下さったそうである。
ひととおり話が終わったとき、「わたしが死んだら、おじいさんも死んでしまうさ。わたしは死ねないさ」とトミさんが言い、みんながうなずいていたそうである。
いつも陽気で笑っている人の中に「もう一つの『生』が生きている」。死者が生きているのである。「いのちは自分ひとりのものだと思って」いた灰谷氏は、大きな衝撃を受けるとともに、「生命観というものを根底的に変えられた」。
そして、子どもと沖縄の人たちが似ていることに気付く。
重い人生を背負っている子どもほど楽天的だった。苦しい人生を歩んでいる子どもほど優しさに満ちていた。それは何だろうとぼくは思いはじめていた。
(『わたしの出会った子供たち』)
そして「子どもから離れて成立しない自分の人生」を自覚した灰谷氏は『兎の眼』を執筆する。
○『兎の眼』
『兎の眼』は、大学を出たばかりの新人教師の小谷芙美先生が、担任の一年生、鉄三にてこずりながら、やがて教師として成長していく物語である。灰谷健次郎氏は、『兎の眼』についてこう語っている。
ぼくが十七年間の教師生活で、子どもたちから人間として生きることの意味を教えてもろた、子どもたちのやさしさに助けられて現在の自分がある、その道程を書いたのが『兎の眼』で、あれ書かれへんと、生きていかれへんかった。
(『子どもたちと沖縄とやさしさと 神戸からの手紙12・1月号』)
と。沖縄に行き、「自分の人生のなかに、子どもというものがほんとうに詰まっておった」『現代児童文学作家対談7
今江祥智・上野瞭・灰谷健次郎』)ことに気付いた時、それは同時に「子どもたちのやさしさに助けられて現在の自分がある」と気付いた時ではないだろうか。「子どもを捨てたという負い目のようなものが」(『林先生に伝えたいこと』)自分の中にあり、だからこそ「あれ書かれへんと、生きていかれ」ず、その時の気持ちを「洗いざらい吐き出した」(『現代児童文学作家対談7 今江祥智・上野瞭・灰谷健次郎』)のだろう。○『太陽の子』
しかし、「自分を、洗いざらい吐き出した」『兎の眼』では兄の死を消化しきれず、『太陽の子』を執筆する。
「てだ」は「太陽」、「ふあ」は「子」という意味を持つ。『太陽の子』は、ふうちゃんが、てだのふあ・おきなわ亭(小料理屋)に来る人々のやさしさに触れ、やさしさ、いのち、生きるということを考え、つらく悲しいことにも向き合っていきながら成長していく物語である。父親の心の病気に沖縄の戦争が関係していることを知り、未だに終わらない戦争、戦争により受けた父親の心の傷を少しでも治してあげたいという思いから、沖縄の戦争を学んでいく。
『太陽の子』を執筆しているとき、灰谷氏は神経症を患っていた。「神経症の苦しみは凄まじい」(『優しい時間』)、不安と恐怖感は増幅し、死をも選びかねないという苦しみの中から生まれた『太陽の子』は「兄の死を通して、『生』の根源的な意味を考える」為に書かれた作品である。
灰谷氏は『太陽の子』を執筆したことで、長兄の自死を受け入れるだけでなく、もっと深く『生』を突き詰めたのではないだろうか。
第三節 島暮らし
一九八〇年、四十六歳の時、淡路島に移り住み、自給自足の生活を始める。三畝少々の畑と三畝弱の田から、米、麦、豆類、芋類とおおかたの蔬菜を自然農法で農薬を使わずに作る。
一九八三年四月、「子どもを真ん中にして、なにかおもしろいことをやりたい」という思いから、坪谷令子氏らと太陽の子保育園を開園する(『灰谷健次郎の保育園日記』)。
一九八四年、第十二回ホノルルマラソンに初めて出場し、「心と体は対等」で、「生命というものは、心と体の対話の中にある」ということを身をもって実感する(『われらいのちの旅人たり』)。
一九九一年、五十七歳、沖縄県の渡嘉敷島へ移り住む。「島の人も島の生活も、わたしにとってはこれこそがニライ(楽土)かと思われる。」と灰谷健次郎氏は強調する。おおらかで「みんなで分け合って仲良くしましょうや」という島の人たちと暮らしながら、「自然のこと、生命のこと、文化のこと」を学んでいる。
第二章『天の瞳』
いのち、食、心と体の対話、教育、学ぶということ、そして沖縄。
『天の瞳』はこれまでの灰谷健次郎氏の人生のエッセンスが詰まっている作品である。保育園から中学校までの倫太郎の成長を中心に描かれていくこの作品の中で、私は特に注目したところを研究した。
第一節 倫太郎は問題児か
『天の瞳』は小瀬倫太郎の成長物語である。
倫太郎は天衣無縫で、いたずら好き。小学校入学早々担任の先生に「ヤマンバ」とあだ名を付けたり、クラスメートを泣かせたりして、先生や周りの大人たちから叱られてばかりいる。しかし、倫太郎は本当に問題児なのだろうか。少なくとも、私にはそうは感じられない。
灰谷氏は「倫太郎は問題児なのか。そういうふうにレッテルを貼ってもいいものなのか、というのが、この小説の主題の一つでもある」(『子どもに教わったこと』)と語っていた。
例えば小学校一年生の時、地図を描くことが宿題となる。約束事は目印をしっかり描くことと、その間の歩幅数を記入すること。倫太郎は生活範囲が広かったのでノート二ページにはおさまらず、別の大きな紙に書いてノートにはり、そうしてオリジナリティーあふれる地図を多くの時間をかけて仕上げていった。しかし、学校では地図をノート二ページに描かなかったことや、誰にでも分かる目印を書かなかったことを注意されるだけだった。
たしかに、誰が見ても分かる地図を書くことは正しいことだし、そういうことを教えることも勿論大切である。しかし、歩きまわって歩幅数を調べ、一生懸命絵地図を完成させていった倫太郎のがんばりは何も評価されていないのだ。
保育園の園長である園子さんは言う。「わたしは、どんな絵を描いたのかはあまり気にならなくて、倫太郎ちゃんが、つまり子どもが、そこでどれほど熱中したかが気になるのね」と。結果より、そこに到達するまでの過程こそ大事だ、教師はその部分に目を向けて欲しいと灰谷氏は言ってはいまいか。
「なぜ教師のいうことに従わないのか、を反抗とみるのではなく、何か伝えたいことがあるのだと思ってほしい。子どもの目線にたって倫太郎のことを考えると、その答えが自ずと見えてくる。」と灰谷氏は言っているような気がする。もし、倫太郎に「悪ガキ」というレッテルを貼ってしまったら、見えるものまで見えなくなってしまい、新しい倫太郎を発見することが難しくなってしまうかもしれない。
実際、一年生の担任の山原先生は思ったことをストレートに表現する倫太郎に戸惑い、倫太郎を授業を妨害する問題児だと見ていたきらいが多少ある。山原先生は倫太郎に出合ったことで、少しずつ変化をしていくのだが、もし一歩間違え「倫太郎は問題児だ」という目で倫太郎を見ていたら、倫太郎の鋭い感受性やその他の可能性に気付けなかったかもしれない。
園子さんは、倫太郎と接する時、倫太郎をどうしよう、こうしようと思って接するのではなく、「ただひたすら倫太郎ちゃんに出会いたいと思って」接しているという。ただひたすら倫太郎に出会いたい、もっと新しい倫太郎に出会いたいと、心を真っ白にして子どもの可能性をもっと発見しようという園子さんの姿勢は、子どもと接する人にとって大変重要な心構えではないか。
灰谷氏は、世の中でいう問題児とレッテルを貼られてきた、あるいは今現在もレッテルを貼られている子どもたちの本当の魅力、今日の学校教育では見落としがちな子どもの可能性を倫太郎を通じて世の中に訴えているのではないだろうか。「ある一つの面だけを見て、それが全てその子自身だと思うのは間違いなのではないか。子どもに問題児というレッテルを貼ったり、偏見や自分の思い込みだけで相手を判断したりするのではなく、その子に出合い、新しいその子を発見してほしい。」『天の瞳』には、そんな灰谷氏の願いが込められているのではないだろうか。
第二節 出合いー添う生き方ー
灰谷氏はこの作品に「人にも、ものにも添うて生きてほしい」という祈りを込めている気がする。「添う生き方」とは、一体どのような生き方なのだろうか。
倫太郎は、じいちゃんから出合いについて学んでいる。「人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。」「好き嫌いが激しいと、これは嫌い、これは嫌いとせっかくの出合いを遠ざけてしまうから、見えるものまで見えなくなってしまう。」そして、倫太郎に友だちが多いことに触れ、「神様がおまえのために祈ってくださったおかげがひとつ、そうしてできた出合いを倫太郎が大事にしたことがひとつ、相手もまた倫太郎を気にかけてくれたことがひとつ、そんなひとつひとつが重なって、今の倫太郎がある」という。
倫太郎は友だちとのつきあい方だけでなく、いのちとのつきあい方、さらにこの世の中にある全てのものとのつきあい方をじいちゃんから学んでいるが、それらのじいちゃんの言葉は倫太郎を「いったん友だちになってしまえば、それは、親きょうだいと同じように、とり替えることのできない、かけがえのないものだ」という感覚にさせる。
こんなことがあった。ヒマワリとホウセンカの種を蒔く時、花をきれいに咲かせるにはばらばらに蒔いあた方がいいのだが、倫太郎にはどうしてもそれができない。人間だけでなく、種同志も「仲良しの方がええねん」というのである。そしてひとつの穴に一緒に蒔く。
また『ないた赤おに』の物語をもとに勉強している時、青おにが赤おにのもとから去っていき、人間と友だちになった赤おにを倫太郎は「あほや」と断言する。「おにはおにの友だちが一番ええねん。人間の友だちができても、おにの友だちがいなかったらなんにもならへん」という。いくら人間と仲良くなっても、おにの友達を失っては意味がないのである。
「出合ったものは、それが人でも、ものでも、かけがえのない大事なものじゃ。」というじいちゃんの精神が倫太郎の中に生きているのだ。
倫太郎について、園子さんはこう言っている。
「あなたは人とつながることしかしなかった。つながったものは、みな大切にして、なに一つ、見捨てたり、切り捨てたりしなかった。そうして、あなたは、あなたのやさしさを育てていったのよね。」
と。これこそ、「添う生き方」なのだ。
倫太郎は、タケやん、青ぽん、ミツル、リエ、あんちゃん、おふみばあさんやシュウちゃんなど、出合った人を大切にした。そして、人だけではなく、心のないように見える木やとんかち、そして、小さな花の種にすら慈しむ心を忘れない。「つながったものは、みな大切にして、なに一つ、見捨てたり、切り捨てたりしな」いのである。園子さんはそこに「ユートピア」があったと言ったが、倫太郎という、やんちゃで、いたずらっこで一見悪ガキに見られる子が、実は生きる上で大切な「人に添うこと」のできる子だったのである。
そして倫太郎とずっと話をしてきたじいちゃんは、倫太郎を育て、倫太郎以外の登場人物たちを育てるだけでなく、私達読者も育てているような気がする。
自分を振り返ってみると、果たしてひとつひとつの出合いを大切にしてきただろうか、という疑問がわいてくる。また日本や世界を見渡してみると、なんと出合いを大切にしない事件、問題が多いことか。もし、ひとりひとりがどんなものとの出合いも、もっと大切にしてきたのなら、もっと違う今になっているのではないか、と思わずにはいられない。
保育園のヒデミ先生が「倫太郎ちゃんみたいな子にどう添うてあげたらええの」という。「人に添うて生きる」「人とつながって生きる」ことこそがこの『天の瞳』の主題であり、様々な反響を呼び、いろいろな人に読まれる所以ではないだろうか。「いっしょにいるってことは、ほんとうに素晴らしいことなのよ。」という園子さん。この言葉こそ灰谷健次郎氏がいつも実感し、かみしめていることなのではないか。
第三節 いのち
「自分を大事にしたかったから」
倫太郎が言った言葉である。
中学生になり、リンチを受けた倫太郎は、復讐の鬼と化す。やられた相手一人一人に仕返しをしていくのだ。そんな荒れた倫太郎をミツルや青ポン、タケやん、芽衣、園子さん、あんちゃんらは、自分のことのようにとても心配していた。そして、そんなみんなの心配を受けて、自分はどうするべきなのか、自分がしてきたことは間違っていたのか、これからどう行動すべきなのかを考えて、倫太郎は変わる。たとえ暴力を受けて、相手にどんなに怒りが込み上げてこようと、どんなに痛みがおそってこようと、無抵抗で通すのである。
倫太郎は言う。
「そのとき、オレは、オレを大事にしてくれる人のことを、じっと考えていた。だから我慢できた。」
と。そして、倫太郎の母、芽衣は考える。「
自分を大事にしてくれる人がいるのに、自分を粗末にできるはずはない。」「自分のいのちの中に、他者のいくつものいのちが存在することを、この子はこの子なりに解しているのだ」。教師をやめた後の灰谷健次郎氏の執筆活動は、いのちを見つめることから始まっている。沖縄放浪を終えて、
ぼくは沖縄から、子どもたちからいのちが生きるということの意味を教えられた。
一つのいのちが成り立つためには、他の無数のいのちがそれを支えているのだということ、わがいのちも、また、他のいのちを支えているのだという思想が、人間の誠実さを生み、優しさをつくるのではないかということを教えられた。
(『わたしの出会った子どもたち』)
と言っている。灰谷氏はそれまでの生活が子どもたちとは切っても切り離せず、むしろ沢山の子どもたちのいのちに支えられてきたのだということに気付き、『兎の眼』を執筆し、そして、もっといのちに迫り、いのちとはいかなるものなのかミつまり、「一つのいのちが成り立つためには、他の無数のいのちがそれを支えているのだということ、わがいのちも、また、他のいのちを支えているのだという思想」ミを元に『太陽の子』を執筆している。
そしてこの「いのち」の追求は、灰谷健次郎氏の文学にとって終わることはない。なぜなら、この思想こそ灰谷健次郎文学のはじまりであり、永遠のテーマであるからだ。「いのちを見つめる」、それが灰谷健次郎文学の神髄なのではないか。
『天の瞳』もまた、例外ではない。
灰谷健次郎氏は長兄の自死にうちのめされている時、出合いにより救われている。倫太郎も沢山の人に出合い、神様が祈ってくれたその出合いを大切にしてきたからこそ、変わることができたのである。「人間の面白いところは、学んで変わるというところ」だと言い、自分は他者と関わるからこそ変わっていけるのだと思ったのではないか。またじいちゃんは「おまえがじいちゃんの孫なら、死ぬまで学べ。」と強く言っている。
学ぶと変わり、変わる為には、相手が必要である。だから、出合いを大切にしなければならない。出合いを大切にしているとまた学ぶことが出来る。
灰谷健次郎氏は、この作品でくるくるとサイクルして死ぬまで終わることのない人生論をも語っている。
第四節 目の描写
灰谷健次郎氏の作品には「め」に関する描写がしばしばでてくる。灰谷健次郎氏は、なぜ「め」の描写にこだわるのかについて、考えてみたいと思う。
「め」の描写は、『兎の眼』や『太陽の子』など初期の作品から見られる。これは子どもが何かに夢中になったり熱中したり、深く物事を考えようとすると、その変化が「め」に表れるということを灰谷氏が実際に「子どもに添うて」生活する中で、この頃すでに発見し、感じとっていたといえる。
『天の瞳』の「め」の描写を引用してみる。
園子さんの目はいきいきしていた。
そんな話をきいているとき倫太郎の目は輝いていた。
倫太郎の目は深い水の色になっている。
倫太郎はなにか探るような目になっている。
倫太郎は目をキラキラさせてたずねた。
これら「め」の描写は、主人公らが物事を深く捉えようとする時、真剣に話を聞いている時、全身全霊で相手の心を見ようとしている時に、用いられている。これは、灰谷氏が読者に伝えたいことや灰谷氏の思いが詰まっているところ、つまり作品の主題に関わるところに「め」の描写が使われていると言い換えることはできないだろうか。
灰谷健次郎氏は長兄の自死をきっかけにして、いのちを見つめてきた。死を見つめ、生を見つめた。『兎の眼』では次兄の死を消化しきれず、『太陽の子』を書く。『太陽の子』は、終わったはずなのにまだ終えることのできない戦争、沖縄の人の心の中にある戦争、沢山の人の悲しさなど、人間のいのち、死、心の病気に対して、真っ向からぶつかった作品であり、いのちを見つめた作品である。『太陽の子』で、お父さんの死を「お父さんの眼の光が永遠に消えた。」と、表現しているが、これは灰谷氏が「いのち」と「めの輝き」を切り離さず考えていることの反映ではないだろうか。
佐藤多佳子氏は灰谷健次郎氏のことを「『視(み)る人』という印象を受けた。どうでもいい、関係ない、適当にしろミそういう曖昧で投げやりなところが極端に少ない方だと感じた。全存在で、ものを、『視る人』。」と表現している。これは、灰谷氏の生きる姿勢ではないだろうか。
子どもと過ごした十七年間の教師生活、兄の自死、母の死、放浪の旅で出合った人々、沖縄で出合った人々。灰谷氏は自分と関わってきたいのちを思い返し、見つめ返してみた時、そこには沢山のいのちの輝きがあったのではないだろうか。そして、いのちの輝きとはつまりひとりひとりの持つ「め」の輝きだったのではないだろうか。いのちを見つめる。それはすなわち「め」を見つめること。
灰谷氏にとって、作品に「め」の描写をいれることは、一人一人のいのちを思い描いていく上で自然のことだったのである。
第五節 作品の明るさ
『天の瞳』は、学校現場を問うていたり、登校拒否や暴力があったりとその内容は重い。真剣に考えれば考えるほど、心にのしかかってくる重圧はすごい。それにも関わらず、作品全体から受ける印象や雰囲気は明るく、とても前向きに感じられる。なぜだろうか。
それはなんといっても登場人物たちが前向きにがんばっているからだと思う。
例えば、小学校五年生のときに、リエが登校拒否になる。どうやらアズサが詩を盗作してしまったことと何か関係があるらしいが、詳細は分からない。倫太郎、ミツル、タケやん、青ポンは考えた。どうしたらリエが学校に来てくれるのか。リエもアズサも傷つかずにすむのか。
そして、倫太郎はリエに会いに行く。決しておせっかいにならないように、でも、リエへの思いを込めて、語り掛ける。そして、リエは学校に来るようになる。
学校へ行く事を拒む者にどう添うたらいいのか、おせっかいにならないようにリエが元気になる方法は無いのか。友だちをどうにか助けることはできないのか。
問題にぶつかったとき、倫太郎らは、相手に強制するでもなく、押し付けるでもなく、自分たちの力でなんとかいい解決策はないかと頭を悩ますのである。どんなことがあっても、萎えることなく、マイナスに考えることもなく、どうしたらいいのかを自分で、あるいは友だち、親、教師と共に考え、前にしか進んでいかない。これを灰谷氏は「子どもの楽天性」と呼んでいるが、この姿勢があるからこそ、『天の瞳』は重いだけでなくあたたかさとやさしさを感じる作品になっているのだと思う。
そして、作品全体から受ける印象や雰囲気は明るく、とても前向きに感じられる理由のもうひとつに、描き方が関係していると思った。
時には
それぞれ足下の小石を拾って
「おりゃ!」
と、遠くを目がけ、力一杯投げた。
(『天の瞳 幼年編』)
というように躍動感あふれる描写を入れる。また時には
ゴンドラの船の半魚人は、エイエイヨウヨウと、ろを漕ぎ、ホラ貝の船もプロペラを回す自転車も空を飛ぶ。
子どもたちの夢もまた、どこまでもどこまでも遠くへ飛んでいくのであった。
(『天の瞳 少年編』)
というようにメルヘンを思わせるかわいらしい雰囲気を醸し出す描写を入れる。またある時は子どもの詩を引用したり、
「ほな、おばあちゃん。また、あるこか」
「はい、はい」
シュウちゃんとイトエちゃんに助けられて、おふみばあさんは、しっかり足を地に下した。
「ひとォつ」
「一つ」
歩く。
「ふたァつ」
「二つ」
歩く。
「みィーつ」
「三つ」
(『天の瞳 成長編』)
というような微笑ましくほっと心が和むような情景を入れたりして、作品に柔らかさやあたたかさを加えている。
『幼年編』は、タケやんがお父さんに殴られていることを知り、タケやんがひとりぼっちでいることを知った後の描写である。そして『少年編』『成長編』は暴力に対していかに接していけばいいかという大きな問題を抱えている。しかし、そんな重さは微塵も感じさせない。それは、問題を避けているわけではない。逆にこのような描写があることで、現実の厳しさが際立ち、また問題を直視する力を添えている気がする。
特に『成長編』の描写は、家で寝ているか座っているかのおふみばあさんを、小さなイトエちゃんが川に連れ出して、歩く練習をしている描写である。倫太郎達の学校での問題は現在進行中であり、解決の兆しはなかなか見られない。しかし、イトエちゃんのおばあちゃんへの添い方や、おばあちゃんが一歩一歩歩く姿は、倫太郎達の胸を打つ。
深刻な問題をそのままつきつけるのではなく、その中で精一杯現実に向き合っていこうと描いていく。急がなくたっていい、でも歩みを止めることなくゆっくりゆっくり、一歩ずつ前へ進もう。きっと道は平坦な道ばかりではないだろう。しかしこれらの描写があることで、未来に期待できるように感じられる。灰谷健次郎氏の、厳しい現実の中においてもぬくもりを探し見つけ失うまいとする強いまなざしが、これらに現れている。そして灰谷氏の厳しさとやさしさで作品を包み込んでいるからこそ、この作品は明るさを持ち続けているのだと思う。
おわりに
灰谷氏の作品に触れると、ある時は「自分の生は、どれほどたくさんのひとのかなしみの果てにあるのかと思うと、気が遠くなる思いだった。」という、ふうちゃんのように、またある時は「生きている人だけの世の中じゃないよ。生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きているから、人間はやさしい気持を持つことができるのよ」という、ふうちゃんのおかあさんのように、登場人物に「生」について語らせ、時には胸をさし、心を思いっきり叩かれるような痛い思いがする。しかし、 それでもやはり読後はなんだか心があたたかくなって、「読んでよかった」と思う。それは、灰谷健次郎氏の作品が優しさに包まれて、いのちがあふれているからだろう。
灰谷氏のまなざしは鋭く、子どもをありのまま受け入れようとする信念は強い。「絶望をくぐらないところに、本当の優しさはない」という林竹二師の教えは、灰谷健次郎氏の心身に行き渡っている精神である。だからこそ灰谷氏の作品は厳しく、そしてやさしい。そしてどこまでも添うて生きようと志が作品から感じられる。灰谷健次郎氏の心をうたった詩がある。
あなたの知らないところに
いろいろな人生がある
あなたの人生が
かけがえのないように
あなたの知らない人生も
また かけがえがない
人を愛するということは
知らない人生を
知るということだ
『ひとりぼっちの動物園』より
灰谷健次郎氏の作品に触れ、どんなに厳しいことを言われ、心が押しつぶされるくらい苦しいことを言われていても、こんな素敵な詩を記す灰谷健次郎氏を私は好きだな、と思う。いのちが嫌いだから厳しいのではなく、いのちを尊敬しているからこそ厳しくならざるをえないのである。
本当にまっすぐ相手を見つめて、心を見ようとしている姿勢は、まるでふうちゃんであり、倫太郎のようだ。登場人物にモデルはいても、ふうちゃんや倫太郎はフィクションである。しかし、灰谷健次郎氏はいつもその時その時に持ちうる魂を全て注ぎ込み、作品を生み出しているのではないだろうか。『太陽の子』の執筆後についてこう語っている。
『太陽の子』を書き終えたとき、もう何も書けないという思いが最初にきた。作品の中で、自分が生き、生き抜いて、そして終わったという、そういう感じだった。
(「生」の根源 )
と。
この姿勢は、『兎の眼』を書いた時から『天の瞳』を書く今に至るまでなんら変わっていないということを、作品を読んでいて感じる。
厳しく、そしてやさしい灰谷氏。作品ひとつひとつに、灰谷健次郎氏のいのちが吹き込まれている。だからこそ、私は灰谷健次郎氏の作品を読むたびに、魅せられるのだと思う。
私はこれからも、灰谷健次郎氏の作品を読み続けていくだろう。
そして、いつか、灰谷健次郎氏に出合いたい。