水上勉文学散歩をお届けする。水上文学は、 文学散歩にとって非常に豊かな世界にみちて いる。舞台を追っていて実に楽しかった。そ の豊かさ故に網羅的には紹介出来なかった。 又の機会を待ちたい。旅に関するエッセイや、 「飢餓海峡」が中心になった。若州一滴文庫 の水上蕗子さんには写真撮影始め岡田をご案 内いただいたり大変お世話になった。記して 感謝いたしたい。
泊
樽見京一郎は、<泊村大字堀株九号
百二番地に住み、>盗みの罪を犯す。
大湊
「飢餓海峡」の 主要な舞台。
<町は恐山の釜臥かまぶせ山を背景にして、大湊湾
といわれるおたまじゃくしのような形をした
入江を抱えていた。(中略)入江は芦崎あしざき
の砂州さすといわれる高い砂山に抱かれていて、
いつも波は静かである。(中略)釜を伏せた
ような高い山がそびえている。それは、昔は
火山であったにちがいない。噴火した当時の
流れが、擂鉢状すりばちじょう になってふもとの方
へ向って凝固している。/「恐山よ」(中
略)「円通寺のある山よ」>「飢餓海峡」
仏ヶ浦
「飢餓海峡」の重要な舞台。
<仏ヶ浦といわれる断崖は見事な景勝を誇って
いた。(中略)この浦は、下北郡佐井村牛滝
という部落と、福浦という部落との中間にあ
って、湯ヶ岳という背後の山が海へ落ちこむ
ために、そこだけ切り落されたように、数百
メートルの崖がけをつくっているのだった。古
くから「仏が宇陀うだ」と近在の人びとに崇拝
されているこの断崖は、グリンタフの海蝕台
地の上に、純白とも見まがうばかりの石や、
淡緑色の石やで、巨大な仏像に似た奇岩怪石
を抱いていた。(中略)この海蝕台地が、次
第に傾斜を緩やかにしてゆく中腹部に、濃緑
色の混成原始林がつづいていた。>「飢餓海
峡」
野平 <野平のだい というところは、四十
分程歩くと山の中腹にひらけた開拓部落だっ
た。>「飢餓海峡」
畑
「飢餓海峡」のヒロイン、杉戸八重
の出身地。<この部落も、すべて石置き屋根
だった。(中略)川に沿うて、二、三十戸の
小舎のような家がならんでいた。>「飢餓海
峡」
湯野川
「飢餓海峡」の主要な舞台。<
小さな温泉があった。わずかに三軒しかない
温泉宿を中心にしたひなびた村だった。下風
呂や、薬研の湯宿にくらべると、辺鄙だし、
陸の孤島といわざるを得なかった。(中略)
卵形の大小の石が日は檜皮ひわだ の傾斜に無数
に敷きならべてある。その屋根は手ひしゃげ
たようにかたむいている。(中略)平屋の浴
室は滝野川村が経営する共同風呂である。粗
末な松板を釘くぎで打ちつけただけの建物だ。
中は入ると、広い湯船があり、澄んだ湯があ
ふれていた。>「飢餓海峡」
安部城
<はげ山をみせた鉱山村>「飢餓海峡」
恐山
<「七月の地蔵講がくるとね、恐
山の円通寺さんにいっぱい死んだ人の亡霊に
会いたい人が集まるのよ。(中略)境内には、
賽の河原や血の池もあるわ。」>「飢餓海
峡」
長野県
戸隠
<幽 ゆうすいな神社は、下界を超絶
した風格がある。峻嶮な山腹の社だから石段
も急だし、とても群衆がのぼれたものではな
いのであった。両側に、樹齢五百年の大杉の
林立する小暗い神域をのぼりつめると、残暑
の鍋底にあった善光寺の、人ごみの汗がひい
た。>「信濃の善光寺」
国上寺
<展望はよくて、蒲原平野も、
分水の流れも額縁におさまって楽しめるよう
になった。>「良寛を歩く」
寺泊
<寺泊へきたのははじめてだった。
ここには良寛の少時住んだ寺があった。>
「寺泊」
出雲崎
<良寛旧跡探訪は、何より、こ
の石井神社に登ることをすすめたい。町ぜん
たいの眺めがきくからだ。>「良寛を歩く」
ほかに裏の岡の上に良寛記念館がある。大変
見晴らしの良いところなのでぜひ寄りたい。
つついし
<親不知と似た断崖に面した海
岸村であるが、糸魚川から、名立なだち の向か
って、北へ約二十キロほどのぼったところに
ある。>「越後つついし親不知」
青海
水上勉の文学碑がある。「越後つ
ついし親不知」の舞台である。
親不知
<越後の「親不知」を私は好き
である。美しい日本の風土の中で、私はいち
ばん「親不知」が好きである。(中略)山は
固く、頑固な壁となって北陸道へ険しく襲い
かかるように、樹木の少ない荒ぶれた肌をみ
せて落ちこんでいる。(中略)私がもっとも
好きなのは、いまは国道の出来ている崖の道
から、のぞき込むのさえ恐ろしいような嶮所
である。北から風波をすぎて、市振に向かう
途中にそれはある。岸壁に、誰がそのような
彫字をしたのかしらないが、「矢如砥如」と
あり(中略)国道端から眺めるから、八〇メ
ートルも下方の崖はえぐれたようになってい
て恐ろしくみえる>「絶壁の地の果て親不
知」
市振
<国道筋にできた山裾の小部落に
すぎない(中略)歌にくらべると、いくらか
街道町といったかんじがしなくもなかった。
>「絶壁の地の果て親不知」
富山県
朝日
<元屋敷は越後と越中の県境であ
る。ここは、越中の泊部落が海蝕される前に
あったところで(中略)街道の横に、一本の
大きな老杉があって、その下に自然石の句碑
が高い石台の上に建っていた。有名な芭蕉の
句であった。/一つ家に遊女も寝たり萩と月
/私は御影石の句碑の前に立ってしばらく立
ち去り難かった。芭蕉は何年か前にここを通
りすぎたのであろう。(中略)私は宮崎に出
て、さらに、]境^に戻った。境には、境川
という、歌川よりも大きな川が流れていた。
(中略)境の関趾を見にいった。(中略)
「昔は越中と越後ですからね。ここが境界だ
ったから、「境」といったんです。関所の跡
です。」私はありふれた街道の横の関所跡を
見たが、ふと、その一隅に、二体の石地蔵を
まつった祠があるのをみて足をとめた。不思
議な地蔵であった。この地蔵尊は普通の地蔵
のように立っていなくて、座っていた。そう
して膝の上に、小さな赤子あかご を抱いていた。
(中略)左手を、子供の頭の近くによせて、
何やら大きな丸いものを捧げもっている。
(中略)私はそれが、一個のにぎり飯だと想
像できたときに、またしても、うら淋しい気
もちにさせられた。>「絶壁の地の果て親不
知」
この地は、「はなれ瞽女おりん」の生地に
設定されている。町の背後の護国寺の門前に
地蔵が多数祭られている。
現在、岡田の西域に若州一滴文庫
(大飯町岡田33。九時《冬十時》〜十七時。水曜休館
)がある。(現在休館中。「一滴の里」
参照。)水上勉氏の蔵書を中心に作品原稿、
挿絵、ほか水上文学に関する様々な展示がさ
れている。なかでも人形劇に使われた人形の
展示は迫力がある。また、村の西隅におりん
のモデルとなったおりんの墓や観音がある。
福井
<b>一乗谷<足羽川にそそぐ一乗
谷川はさほど大きくはない。両側にひろがっ
ていた山が急にせばまってくると、城戸ノ内、
西新町、東新町、浄願寺町と、小部落が六粁
ばかり耕地をめぐって点在してゆく。「城戸
ノ内」はすなわち領主が住んだ城内のことで、
北の下城戸にいたる峡谷は、西面に恰好の台
地をもりあげ、全面に田畑と清流をのぞみ、
うしろに嶮しい城山をひかえている。(中
略)城山には本丸があり、そこへのぼれば、
九頭龍、足羽、日野、越前平野を貫流する三
川が、一望できた。>「越前一乗谷」
北の庄 <福井市中央通り一丁目、柴田 神社が本丸跡である。>「越前戦国紀行」
武生 <豪摂寺は味真野の中心にある五 分市にある。(中略)私は、桐の花がそここ こに咲く頃に、この五分市のあたりを歩くの が好きである。わけても五皇神社へ行く途中 の桐畑はうつくしい。(中略)豪摂寺は巨大 な伽藍を今日も残していて、回廊にとりかこ まれた本堂は、永平寺などの山岳を背にわざ と威厳をみせた寺よりは、如何にも、庶民の 中にわけ入った親鸞、蓮如の法燈をかかげる 趣である。誰もが階段をあがって仏を拝むこ とができる。>「弥陀の舞」 <越前武生から粟田部というて、山奥へ入り 込む途中の盆地に村がございますが、この村 からさらに、大滝という所へのぼりつめます と、そこはむかしから紙漉きの里>(「欅の 花」)。「越前竹人形」の舞台。
今立
<五箇は紙漉かみす き村である。文
室の谷のひらける五分市ごぶいちから、東へとっ
て、約三丁ばかり歩いて、山の鼻へ出た。東
どなりの鞍谷くらだにから、粟田部あわたべへ流れこ
む鞍谷川をわたると、もうそこが五箇だった。
いまは今立いまだて町と呼称を変えているが、不
老おいず 、岩本、大滝、新在家しんざいけ 、定友さだ
ともと五つの集落を抱いた大滝谷の呼称で、古
くから、この五つの集落だけが紙を漉いた。
>「弥陀の舞」
<古い大きな鳥居の下にきて足をとめた。大
滝神社であった。日本和紙の祖、川上御前を
まつる氏神様で、鳥居の上にそびえる大杉の
木立を仰ぐと、二千年前の紙漉き里の深さに
接する思いである。>「弥陀の舞」
<五箇の村でもっとも檀信徒が多いときく岩
本成願寺へいってみた。伽藍も昔のままの大
寺は、越前にはめずらしく時宗の寺で、連阿
澄心の開基だった。>「弥陀の舞」
「欅の花」の舞台でもある。
越前岬
<黒い岩石の上に純白の塔がみ
える。越前岬燈台であった。燈台は、鼠いろ
の空に、いま半紙をくりぬいたように浮いて
みえた。(中略)血ヶ平の村へさしかかる段
丘は、そうした野性のままの趣をのこして、
ひろびろと眼前にひろがっていた。遠くに岬
がみえ、白波のたつ海がキラキラする。(中
略)越前岬はさびしい所である。年じゅう風
の中にある。>「花と波涛の越前岬」
<いつきても越前岬はいい(中略)日本で、
一ばんすきなとこはどこか、と問われれば、
ぼくは越前岬とこたえる。理由は何もない。
そこにはまだ、自然の荒涼があるからだと思
う。>「越前岬の風光」
水仙ランドの上の入口に水上勉の碑がある。
米ノ浦 <米ノ浦は崖の下のせまい土地
である。山は背後にせりあがっている。家々
は、まるで崖の裾にへばりついたようにみえ
た。>「花と波涛の越前岬」
玉川観音
<玉川観音というのは、岬の
燈台の手前にあって、大きな岩窟に観音像が
安置されてあるところである。シメナワのか
ざってある古びた鳥居が立っているだけだが、
いかにも、海の果てにきたといった感じのす
る祠である。>「花と波涛の越前岬」
敦賀
<若狭の海岸の旧街道に沿う松並
木は美しい。(中略)東から「気比の松原」
「三方の松原」「勢の松原」「高浜三松の松
原」好きな箇所をあげても、四ヶ所うかぶが、
いずれも、まだ巨松は残っていて、潮風に得
もいえぬ韻をたてて生きている。(中略)気
比の松原は、敦賀の西端にあって、立石岬の
つけねから東に向かってのびている。ここの
松は、他の三ヶ所にくらべてやや小ぶりで、
よそよりも密生しているが、白砂に黒く根太
の柱をつきさしたように生えているのが印象
的で、よくここへ松と海を見にきた。(中
略)ここは、筑波の山にたてこもった水戸天
狗党が、追われてにしん倉に捕われ、断罪に
あったので有名でもあるが、いまも、浪士た
ちの墓がある。その墓地も松の下だ。(中
略)私が先妻に逃げられて六つになったばか
りの娘を若狭の祖父母のところへあずけにい
った時、やはり、この海岸へ子をつれてきて
いる。(中略)ぬれた砂の上を、ズックをぬ
いだ父娘は走った。子は、松原の中を、髪を
うしろになびかせ、松ぼっくりのように小さ
くなるまで走ったが、いまでも、この姿が焼
きついてはなれない。(中略)私が、二どめ
に、この松原にきたのは、五年後であった。
(中略)私と二どめの妻が、、この気比の松
原にたたずんだのは、昭和二十九年の六月だ
った。(中略)初夏の沖は晴れていて立石の
岬もみえた。牛がねたような半島の、首の落
ちこむあたりから、沖の白い線が糸をひいた
ように北へのびる。遠く越前岬の断層が、そ
の糸先にむすばれている。水の色は紺青で、
波は白く、透明に砂を洗っていた。(中略)
あれが青葉山だ」西の方角に、扇子を伏せた
ように三角形のとがった山がみえた。(中
略)分教場のある山であった。(中略)かな
り、大きく牛の背のようになだらかな傾斜を
みせて海につっこんでくる山がある。久須ヶ
夜岳といって、小浜の後ろにそびえる、若狭
では高山の一つである。(中略)あの気比の
松原から、三松、勢の松原にいたる岸べを、
若い妻と、長くあずけていた子をつれて、さ
まようた日を懐しいと思う。とりわけ、敦賀
の気比の松原は、私にとっては、永劫のもの
である。>(『山河巡礼「気比の松原」』)
三方
<三方は若狭小浜と敦賀の中ほど
にある。海岸から少し山へ入りこんだ谷奥で、
(中略)弘法大師一夜の作像とつたえられる
片手しかない観音がまつられていたが、じつ
は若狭あたりでは、この観音のことを御手足
堂みてあしどう石観音とよぶ。石に彫られているか
らそうよぶのであろうが、問題の片手しかな
い像は立像であって、高さは約三尺ぐらいだ
ろうか。台石の上に、観音は慈悲深い顔をや
や伏目に、静かなたたずまいで拝堂前を見つ
めている。(中略)堂から少しはなれた石畳
の両側には、屋台店が出ていた。>「はなれ
瞽女おりん」
常神は、「烏の穴」の舞台。
高浜
釈迦浜は、「釈迦浜心中」の舞台。
今津
<今津の町は、若狭の町と似てい
た。いや似ていたというよりも、そっくりで
あった。街道をはさんで、二階のひくい云え
なみがかぶさるようにひしめいている。露地
のような細道をつきぬけてゆくと、すぐ、湖
の岸に出られた。湖へずり落ちる傾斜、葦竹
や、荒縄や、朽木などの落ちた砂浜が帯のよ
うに弓状になって、岸に沿うて遠くまでのび
ている。そっくり似ていた。湖と海のちがい
がなかったら、私の生まれた若狭本郷とまち
がったかもしれない。>(『山河巡礼「湖北
」』)
安曇川
<私は車で、砂利山の見える安
曇川をわたった。大きな川であった。琵琶湖
にそそぐ川のなかに、このような大河があっ
たかと思わず眼をみはる思いがした。橋をわ
たるあたりから、竹藪が見えはじめる。むか
し、安曇川の決潰を防ぐために、護岸の目的
から植林された竹藪だということであったが、
万木はこうした竹藪を切って扇骨を作るので
ある。/大溝の町なかで、車を待たせておい
て、万木へ出た。なるほど、畑の一隅に、扇
骨を干していた。それは、はじめて見る私に
は、ケシの花の咲いた畑のように見える。>
(『山河巡礼「湖北」』)
マキノ <海津へたどりついたのは、蛭
口を出てまもなかった。私はこの村にある宝
幢院という寺を探しあてたかった。(中略)
丹波長秀という武将が若狭を領した時、それ
まで若狭を守ってきた武田元明なる衰運の武
将を、山奥の村に幽閉し、そして、海津の宝
幢院へ招いて、本堂の前で詰腹を切らせたの
である。(中略)稲架のあいまから背のひく
い山門が見えた。古松が二本、その山門の屋
根にやせた枝をのばしていた。(中略)山門
は近くへ寄ってみると、かなり立派だった。
(中略)私は山門をくぐった。(中略)うし
ろに山をひかへて、沈んだように見える古寺
は、悲運の武将が死んだ寺にふさわしかった。
(中略)奥様は、私を案内して、古びた障子
をあけて、加賀の前田侯がお休みになったと
いう部屋を見せてくれた。(中略)奥様は隅
の方へ私をみちびいてゆくと、苔むした石塔
が一つかたむいているのを指さして、「これ
です」といった。私は、その墓の貧相なこと
にまず驚いた。とても武将の墓とは思えない。
みじめであった。(中略)私は杉苔に被われ
た、武田孫八郎元明の墓を見ただけで、ここ
に私の湖北が生きているような気がした。
(中略)私には、琵琶湖はさびしい山奥の湖
でなければならなかった。>(『山河巡礼
「湖北」』)
海津
清水の桜<日本に古い桜は多いけ
んども、海津という場所の桜ほど立派なもん
はないわ。(中略)村の共同墓地に、ひっそ
りかくれてる。けど、村の人らが枝一本折ら
ずに大事に守ってきてはる。墓場やさかい、
人の魂が守ってンのやな。(中略)同じ近江
でも、海津の桜はちごうてる。あすこは、村
の人らの眠ってるとこや。みんな桜の下で眠
ってはる。(中略)U字なりに根から二た股
に分れた巨大な桜は、何かのけものの肌に似
ていて、荒々しいかんじだった。幹は南北に
形よくひらいて、墓地のよこの川岸から、無
数の枝を張って、広い墓を抱いていた。>
(「桜守」)
西浅井
<塩津は、湖北の象徴のような
町であった。(中略)私は、ここへくるまえ
に珍しい断崖をいくつも見た。(中略)灰い
ろの岩が切りたっていた。その岩はどの岩も
四角に見えた。方解石を並べたような岩だっ
た。いま、その岩に湖水の波がうちよせてい
るのであるが、海の波とちがって、波だちは
荒くはない。それに山が切りたっていても湖
へ落ちている感じは若狭のように峻嶮ではな
い。どことなく小造りなのだった。それだけ
に、私には湖北の断崖は淋しく見えた。(中
略)海津大崎を見て、塩津についたのは一時
間後であったか。私は、賤ケ岳をはじめて間
近に見つめていた。山はもっと、湖からはな
れているものと思っていたのだが、山は湖岸
すれすれに切りたっているのであった。日出
の展望台(注−月出展望台?)から見ると、
塩津の浜は、リアス式海岸の最も奥まった地
点に抱かれている。眼についたのは、矢印に
似た大きな簀(す )である。その簀がいま、
奥まった湾の両側から二本つき出ていて、絵
にかいたように美しい。/私は塩津の町に入
った。ここも今津と似ていた。今津よりさび
れているようであった。昔は、米や材木が運
ばれてくるので大津坂本までの定期船が出て
いて、この港は大いに栄えたといわれている。
(中略)私は、魚入(えり)の簀が湾をよこぎってい
る塩津の入江をみつめて、この町も、時代を
失ったのだと直感した。(中略)塩津は私の
眼の前で死んでいた。忘れられた町に見えた。
/町の背後にせりあがった山を見てみる。は
げ山が多い。炭焼きで暮す人がおおいのであ
ろうか。しかし、森林に覆われた箇所はどこ
にもなかった。痩せた山、侘しすぎる町の屋
根、船のない港。塩津が私に吹きつける印象
である。>(『山河巡礼「湖北」』)
木之本
山梨子<賤ケ岳から南へ一キロ
あまり、湖へ切りたって山が落ちるあたり、
まるで、貝殻がひっついたように家々が建っ
ている。急斜面であるから、下の方から石垣
を積みかさねて、わずかな平坦地をつくり、
そこに大きな、といっても、土地いっぱいに
建っている家だから大きく見えるのだが、茅
ぶきの入母屋づくりの奇妙な煙出しのある家
が、段をなして散らばっていた。家は、まわ
りに、山桃だの、竹だの、桜だの、枝の混ん
だ林を少しずつもっている。どの家も、林の
中に沈んだように見えた。私は村の中を歩い
て、一軒の家が足もとにもう一軒の屋根を見
下ろしている奇妙な風景にみとれた。(中
略)この貧しい傾斜地が、私には哀しくうつ
るのである。>(『山河巡礼「湖北」』)
<琵琶湖でのう。いちばん深いところ、塩津
のはなを出てな、大崎の沖へ出たところじゃ
ろ、ほら、ごらんな。あすこに見えるが、竹
生島じゃ。あの竹生島とのあいだが、いちば
ん深い。そうじゃな、百メートルは結構ある
じゃろ。(中略)大崎の端の下へゆくと、深
うえぐれたところがあっての、湖の底に畳千
畳敷もある広い屋敷が出けとるそうじゃ。そ
こは天然の冷蔵庫じゃの。手の切れるような
水がつまっとるちゅうはなしじゃが。(中
略)その千畳敷の洞窟にゃ昔の鎧をきた武士
や手村ン者が、まだ、死んだまままっとるん
じゃろちゅうはなしじゃ。(中略)冬になる
とな、この村のしたから、風が轟々と吹いて
きよるわな。村の者は夜さり、その風を聞い
とると、だあれも寝られんがの。湖の底から、
死んだものが成仏しとらんでの……つまりじ
ゃ、仏の泣き声がきこえるんじゃと。(中
略)琵琶湖の北部は忘れられた辺地だと思っ
た。今津にも、海津にも、塩津にも、水田ら
しい水田のある風景は見られなかった。零細
な湖岸漁業と、炭焼きと、養蚕と……それか
ら扇子の骨をつくる人びとが生きているとこ
ろであった。>(『山河巡礼「湖北」』)
大津
<大津は滋賀の都といって、都が
おかれた。その都の西方山地に三井寺(園
城寺)は建っている。(中略)中腹の平坦地
に、観音堂の伽藍を中心に、六角の水堂、展
望台、毘沙門堂があるが、みな昔のままだ。
(中略)左手に山が迫り、遠く比良山がかす
んで見える。岸づたいに、湖が北へ弓状にや
わらかくえぐれる眺めは、昔と変わっていな
い。(中略)観音堂のわきから、石段を降り
て、金堂のある広い砂利道へ向った。勧学院、
智証大師廟、三重塔前を通って、一切経堂の
横から弁慶のひきずり鐘を見た。(中略)鐘
は、三井霊水のこぼこぼと音たてて湧く金堂
から、さらに広場を岸へよった地点にある。
「三井の晩鐘」とは、これをつく音である。
>「三井の夕鐘」
堅田
<堅田の浮御堂は、(中略)八景
のうち「堅田の落雁」といわれる堂で、(中
略)いまは鉄筋コンクリート造りで、外観は
昔日の浮御堂そのままに形どられてある。寺
の伽藍を右に見て石道を横切り、橋を渡ると、
堂は背丈高い葦のまんなかに浮いていた。ヨ
シキリがしきりに鳴いていた。>「三井の夕
鐘」
愛東
百済寺<東の金剛輪寺、西明
寺とならんで、秋は紅葉、夏はあじさい、春
は山桜の名所だった。(中略)山の中腹だか
ら、眺めもいい。(中略)石段は苔むし、両
側に檜と楓が混ぜ植わり、秋は錦の廊下をゆ
く気がした。>「凩」
朽木谷
<安曇あど川の上流、古知谷の阿
弥陀あみだ 寺>は、「凩」の主要な舞台である。
松尾寺 <七つか八つの頃である。母と
いっしょに、若狭の西端にある青葉山の観音
霊場松尾寺に詣でた。(中略)松尾寺は、二
十九番の札所で、若狭でたった一つの観音霊
場である。(中略)松尾寺駅に着くと、かな
りな参詣人で、私は母のうしろから、石段の
多い坂をのぼった。大きな本堂のある松尾寺
を見たのはこれが最初で、(中略)西の方を
見ていると、ひろい、白い海が見えた。>
「与謝の細道」
成生
「金閣炎上」の林養賢の出身地。
作品に書かれたそのままに美しい、静かな港
である。<成生部落は、わずか二十二戸しか
なかった。分教場の子らが寝ているようだと
云っていた岬の先端は、小さな入江にのぞん
でいて、なるほど鹿の頭のように突き出た山
がうしろにあり、若狭湾側へずり落ちる山壁
にへばりついた恰好だった。(中略)二十二
戸の家は、落ち込んだ磯から、山へ向ってず
ぼまるふうにひしめき建っていた。どの家も
にたような瓦ぶきの入母屋いりもやで(中略)軒
がひっつくほど接近し、どの家も庭はもたず、
道路は軒下の三尺ぐらいしかなく(中略)磯
には舟小舎がならんでいた。わずかな砂地と、
くり石の浜が弓状にひろがって、中央部に短
い桟橋があった。(中略)成生の二十二戸の
村は、白い磯にならんで、扇子をひろげたよ
うに見えた。(中略)孤島のような村だと教
えられて来たものの、さほどでもないのどけ
さを感じた(中略)入江の右隅に、松の二十
本も生えているかと思われる小島があった。
部落の人は土もり島とよんでいた。(中略)
入江はその小島を抱いて、さらにそとうみに
向う途中で、馬立うまたて、毛島のおおきな島に
出あうが、磯から見ると、二つの島は、馬が
二頭いるようだった。(中略)西徳寺を訪ね
た。(中略)寺は貧相であった。しかも、神
社の裏になって、宮の敷地をかりたように建
っていた。>「金閣炎上」
宮津
<(中学)一年生の時、七人の同
級生と与謝巡りの旅に出た。是が、与謝を訪
ねた最初であった。(中略)天橋立駅で降り、
そこからバスで成相寺下までゆき、歩いて中
腹の傘松公園にのぼり、そこから、さらに]
成相寺^まで歩いたが、苔むした長い参道を
ゆきついたところに、古びた鐘撞堂があるの
に眼をみはった。案内の僧が、「これは撞つ
かずの鐘や」といった。(中略)鐘楼の下か
ら石段をのぼって本殿前にくると、そこはさ
らに高台になっていて、遠い海が見えた。私
が八歳ですてた若狭の青葉山が、いま、眼の
前に、波型の山頂を見せて、空に浮いていた。
殆ど、息のとまるほどの感動だった。なんと、
若狭は近くに見えた。橋立の松は樹の下にな
って見えないけれど、阿蘇の海と、栗田湾が
ひろがり、入江に宮津の町がかすみ、舞鶴が
かすみ、その背後ににょきっと、青葉山が見
える。>「与謝の細道」
成相寺の上の展望台は、日本有数の展望台
である。ぜひ登りたい。
津母
<村の家は段々になっていて、
(中略)観光道路の下に、まるでかくれたよ
うにしてあるこの屋根は私に気にいった。そ
れは、まだ昔の面影をのこして、死んだよう
な岩の澗ま の影にひっそりかたまっていた。
(中略)私はこの村に、一人の少女を置いて
みたかった。(中略)「五番町夕霧楼」とい
う小説はこの与謝の旅から三年後に書かれて
いるが、夕子は津母で生まれて、私の胸の中
で三年間生きつづけたことになる。>
蒲入 <蒲入の海岸へ崖すれすれの道を
登ろうとするとき、何げなくふりかえった。
(中略)山桃の森であろう。(中略)まるで、
樹林は葉を積みかさねたようにみえ、それが、
遠くからみると、けものの皮をそこに水にぬ
らしてかぶせたようであった。>「波暗き与
謝の細道」
丹後
「五番町夕霧楼」の舞台。
<経ケ崎の燈台は、やがて、蒲入のトンネルを
出ると、私の眼にとびこんできたが、私は、
海抜二〇五メートルといわれる高所の経ケ崎
燈台が、明治三〇年代、ここにあって光をな
げてきた過去を考えさせられた。>「波暗き
与謝の細道」
美山
「飢餓海峡」の犯人樽見京一郎の
出身地。<急傾斜の山径やまみちに、点々と部落
の家々が見える。いずれも、杉皮ぶきか、藁
ぶきの屋根の、入母屋の大きな家が多いが、
竹藪や黒い林を背にしているので、しめっぽ
くみえるのが特徴といえた。>念道を経て鶴
ヶ岡に着き、さらに<「熊袋ってエ のは、鶴
ヶ岡から、大汲おおくみの方へ入ったところじゃ
ないかな。大汲権現のあるところじゃろ」
(中略)「盛郷もりさとを通ってな、(中略)福
居へまわって、大汲へ出て、大汲の権現さま
から、まだ一里も奥の村>と奥に入って行く。
<権現さま(中略)海の髪さまでのう。漁師
の人らが毎年おこもりなさる村じゃちゅうて、
由良の漁師さんがよう冬ごもりの用意をして、
のぼりなさいます>。熊袋<屏風のようにせ
り上がった山は、削ぎおとしたような原始林
の肌をみせて渓へ落ちこんでいた。その中腹
に、点々を家がみえる。(中略)畑はすべて、
高い石垣の上にある。>「飢餓海峡」と描い
ている。
福知山
<福知山は、由良川の川岸より
も低い低地に盆地に出来た町で、丹後とほう
の中心であった。>「飢餓海峡」
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覚え
高浜
昭和五十一年十月、福井県青郷の
高野分校を三十一年ぶりに再訪、当時の教え
子たちの会に出席。
<b>京都府
<b>京都
「鴉の穴」島原俵屋。万寿寺木屋
町上るの小野竹風の家。深草の兵営。
→「越後つついし親不知」「越前竹人形」
「湖の琴」「はなれ瞽ごぜおりん」。随筆「親
不知」<美しい日本の風土の中で、私は越後
の「親不知」がいちばん好きである。(中
略)>
水上勉文学碑・青海町(親不知?)
<b>芦原温泉 水上勉文学碑。泊。
<b>小浜
「釈迦浜心中」→小浜城址。「波
影」→仏谷。「」「」
<b>京都・伏見
<大和屋>
<b>駒込 勝林寺<その姿を見にゆくと、私 の眼には、父がわらって道具箱をかついでや ってくる。>『水上勉全集「大菩薩峠」十一 巻』「あとがき」
『海の葬祭』を文藝春
秋新社より刊行。
<b>親不知 12月、「越後つついし親不
知」を「別冊文藝春秋」に発表。
<b>三国 「越後竹人形」
<b>那智 「那智滝情死考」
<b>京都 『五番町夕霧楼』『高瀬川』を河
出書房新社、『雁の寺』(全)を文藝春秋新
社より刊行。『三条木屋町通り』「京の川」
<b>親不知・歌川・歌合
<親不知から、断崖
を削ぎ割ったようにして入り込む歌川のにそ
い、約五キロばかり山奥へのぼりつめたとこ
ろに歌会という寒村があった。/戸ずかに十
七戸。落ちこんだ渓谷の斜面に、へばりつい
たようにしてあるこの村の石置根の村の粗末
な家々><地蔵山><まったく文化の流れと
隔絶された孤島のような部<親不知は、北ア
ルプスが日本海に没入する断崖の果てにある。
>
湖東
<米原から大津に至るまで、右
側の車窓に見えかくれする琵琶湖は、海のよ
うに広くて明るい。そういう琵琶湖は、どち
らかというと、私には興味がなかった。>
(『山河巡礼「湖北」』)
観月猫
水上勉ファンのuni(うに)さんのホームページ。水上作品への熱い思いが語られています。
一滴の里/a>
中央大学文学部文学科国文学専攻
経営難に陥っている若州一滴文庫内の再建を目指す特定非営利活動法人のホームページ
象のロケット
感動したい、笑いたい、今の気分にぴったりの人気作品を検索してくれる、便利な映画・ビデオ・DVD総合ナビゲーター!
渡部芳紀研究室
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