渡部芳紀
渡 部 芳 紀
資料館前の道を右(西)に百mも行き、右 へ曲がるとJRの踏切を渡る。そのまま、ま っすぐ登ると永明寺だが、今は右に曲がり線 路に沿って東へ行くと津和野駅の裏に出る。 光明寺の手前を左へ曲がると、道はだらだら 坂になる。乙女峠の標識に従って進むと、道 はやや急な山道となり、左に小さな滝や茶屋 を見て登ると、右上に乙女峠中腹のマリア聖 堂が現れる。
元に戻って、踏切の所からゆるやかな坂を 北に登ると永明寺である。石段を上り山門を 潜ると、永明寺の境内である。
広場の左奥か ら左手の墓地に上れる。石垣の上を左に進む と右に森林太郎の墓がある。東京三鷹の禅林 寺から分骨したもの。墓石も禅林寺と同じ形 に作られている。森林太郎の字は画家中村不 折による。鴎外の遺書にしたがい書かれたも の。近くには脚本家中村吉蔵の墓もある。
もとの広場に戻り右手の入口から境内に入 ろう。本堂に向かって左手には山本有三の戯 曲「坂崎出羽の守」でも有名な出羽の守の墓 がある。悲恋の城主坂崎出羽守直盛は、大阪 夏の陣で武勲をたてた。家康の「千姫を助け だした者には姫を与えん」との命に従い危険 を侵して千姫を助け出した。その戦功で津和 野四万石の城主になったが、千姫は本田忠刻 に再嫁することになった。姫を奪おうとした 出羽の守は説得され自刃してはてた。わずか 十六年の治世であったが、津和野に多くの功 績を残した。現在旅人の目を楽しませている 鯉の泳ぐ側溝も出羽の守の残した物である。 静かな境内、本堂、裏の庭も良い。
永明寺を見たらもとの国道に戻ろう。国道 を右に曲がりしばらく行くと、錦川(津和野 川)に掛かった大橋に到る。その手前の交差 点を左に曲がると左に多胡家老門があり右手 には養老館がある。もとの藩校である。鴎外 も川上から川沿いに通った所だ。脇を流れる 側溝には菖蒲が植えられ錦鯉が泳いでいる。 津和野を代表する風景だ。今は民俗資料館に なっている。中庭には鴎外の遺書を彫った碑 がある。

養老館からさらに先に進むとカトリ ック教会がある。鴎外に直接の関係はないが 畳敷の雰囲気がいいのので見学したい。
先程の大橋に戻ろう。橋の下には錦鯉が沢 山泳いでいる。橋の北の袂(駅から来て手前 右)には徳川夢声の碑がある。「山茶花の雨 となりたる別れかな」と彫ってある。徳川夢 声が幼少時代を過ごした縁による。
その碑の 右脇を入って行くと弥栄(やさか)神社があ る。七月二十日の御神幸、七月二十七日の御 還幸の時、鷺舞が行われることで知られてい る。神社の破風や建物の各所に鷺の彫り物が 造られている。ここより錦川に沿って上へ進 めば稲成神社だが今は橋に戻ろう。橋の上か ら上流を見るとJRの鉄橋がある。休日には 蒸気機関車が通る。
橋を渡ると左に津和野郷土館がある。津和
野の歴史資料や文化遺産が展示されている。
鴎外、西周などの展示もある。
資料館を見た らさらに先へ進もう。八百メートルも行き、 石州和紙会館の手前を右に入ると左に森鴎外 の旧居がある。鴎外は文久二(一八六二)年 この家に生まれ、十一歳までこの地で過ごし 、明治五年勉学のため東京へ出た。鴎外が「 ヰタ・セクスアリス」で「六つの時であつた 。中国の小さいお大名の御城下にいた。(中 略)土塀を巡らせた門構の家に丈は住んでを られた」と書いている家だ。
門を入った左に 、鴎外が日露戦争従軍中に作った「うた日記 」の中の詩「釦紐ぼたん 」を彫った碑がある。 佐藤春夫の揮毫で〈南山の たたかひの日に /袖口の こがねのぼたん/ひとつおとしつ その釦紐惜し(以下省略)〉と浮き彫りさ れている。
森鴎外旧居の後ろ(南側)には、森鴎外記念館がある。 鴎外旧居、鴎外記念館を見たら門前の道を左に行こう。 すぐ津和野川の土手に出る。この道を右へ川 沿いに下って鴎外は藩校に通ったのである。 「ヰタ・セクスアリス」の世界である。
右に少し行くと人用の橋がある。橋の向こうに大 きな松の木がある。鴎外も眺めた松だろう。 その梢の先、津和野を見下ろす山の上に石垣 が見える。津和野城である。ここは後ほど訪 れよう。
橋を渡り松の脇を通って道なりに進んで行 こう。綺麗な小川に沿った最初の小道を左に 曲がり五十メートルも行くと、右に西周の旧 居がある。藁屋根の小さな家だ。
西周(一八 二八〜一八九七)は鴎外の親類で、幕末から 明治にかけ幅広い活躍をした思想家である。 鴎外が勉学のため上京した時、西家に寄宿し ている。門を入った右手には、土蔵を使った 周の勉強部屋がある。福沢諭吉、正岡子規も そうだったが、三畳ほどの狭い部屋だ。こう した所から、日本の知識人が育っていったの である。
西周の旧居を見たら、家の前の道を戻ろう 。斜め左にカーブして行くと広い道に出る。 その道を右(北)に二百メートルほど行くと 、左に津和野伝統工芸舎がある。和紙の実演 などが見られる。右手には、津和野民芸館「 陣笠」がある。百三十余点の陣笠と、「鷺舞 」と「子さぎ踊り」の実物大の模型が展示さ れている。その他、美術工芸品、民芸民具な ども多数展示されている。
そこより更に北に二百メートルも行くと左 に嘉楽園がある。もとの藩邸跡である。御物 見櫓に藩政時代の面影が残っている。
嘉楽園の先を左に曲がると稲成神社に
登る道である。道なりに登って行くと、右に
カーブした坂の右手に伝統文化館がある。津
和野の伝統芸能「鷺舞」「津和野踊り」「流
鏑馬」「石見神楽」「田囃子」「奴道中」の
展示がされている。
津和野踊りに関して鴎外 は「ヰタ・セクスアリス」で〈僕の国は盆踊 りの盛な国であつた。(中略)屋台が掛かつ てゐて、夕方になると、踊りの囃子をするの が内へ聞える。(中略)頭巾で顔を隠して踊 るのである〉と描いている。
伝統文化館の上から、リフトに乗って津和
野城に登れる。リフトの駅を下り、左へ尾根
道を十分も行くと、津和野城址に至る。
津和野城は、三本松城とも言い、海抜三百
六十七メートルの霊亀山にある。津和野から
の垂直距離は、二百二十メートルある。吉見
頼行が永仁三(一二九五)年、築城を始め、
二代頼直の正中元年(一三二五)に完成した
と言われ、吉見、坂崎、亀井氏の居城として
受け継がれた。明治七年に城郭は解体された
が、残された石垣が見事である。
本丸跡からは、眼下に津和野の町が一望の もとである。町の背後に、形よく聳える山は 火山の青野山(九〇八m)である。本丸の石 垣の南端の角、町に向かって右端の石垣の鼻 から、今まで歩いて来た町を見下ろそう。右 から左に錦川が流れ、川に沿って町が広がっ ている。石垣の下、錦川の手前にある藁屋根 は、西周の旧居である。その左上、錦川の向 こう岸には、鴎外の旧居も見える。左手、錦 川が右へカーブしている所には、先程渡った 大橋も見える。

城跡を見たら、リフトで下りよう。先程の 道を左へ行こう。鳥居をくぐり幟の間を登っ て行けば、太鼓谷稲成(いなり) 神社に至る。神社 は、錦川河畔の丘の上に立ち、津和野の町を 見下ろしている。安永二(一七七三)年、津 和野七代藩主亀井矩貞が、城の鎮護と領民の 安泰とを祈願して、太鼓谷の峰に伏見稲荷を 勧請したもの。伏見系統の五大稲荷の一社で ある。宝物館には、数々の郷土関係の資料が 展示されている。神社から、鳥居のトンネル の石段を下り錦川に沿って百メートルもいく と先程の弥栄神社の前に出る。神社を抜けれ ば、大橋の袂に出る。大通りを左に行けば、 津和野駅に戻れる。
以上、津和野の町を鴎外中心に回ったが、
市内には他に見所が多い。
時間の余裕のある時は、鴎外旧居から錦川
を逆上った亀井家別荘や、更に上流の流鏑馬
の行われる鷲原八幡宮などを訪れるとよい。
(写真・筆者)